ローエコ

New York Todayさんのとこであった議論。
個人的意見。(あ、あくまでこれは法津なんぞ一分も勉強したことのない素人の私が頭の中で妄想したことで、まったく脈略ありません。為念)
【追記】ついでに経済学も(会社入って個人で勉強した以外は)一分もまともな講義受講や勉強をしてません。為念。(<じゃあ何を勉強してたんだといわれると、、、、物理学?汗。)

ローエコ(法律と経済)というお話。(初めは法律と環境問題なのかとおもった)

本質から外れてるとはおもいますが、
個人的には現実の事象が生じてから発生する法律と、一方で「国のあるべき形」から生じる法律の違いで、その上でその活動主体がどちらか、という話ではないかと思います。経済において、国の役割が低下している現状では、法律が(アキレスと亀の話ではありませんが)後追いになって、決して現実に追いつけないというのもわからないではないですが。(とはいえ、法律は”国家”がその国でのいろいろな”主体”が活動するための”ルール”ですから、どこまでも国のあるべき論からははずれないと思いますけど、その度合いの違いというわけで、、、)

前にマーケットマイクロストラクチャー(トレーディング・マーケットの動的分析)を制度設計に用いる、ということを議論していた学者の方がおられましたが、実務家から見ると、商法が経済主体のニーズありきでその上で法律を形成するものなのに、そこに”国のあるべき姿論”を(どなたか・学者さん?官僚さん?が)持ち込んで判断しはじめると、どうしても”経済合理性”or現実にそぐわなくなって、いろんな法律で齟齬が生じるんではないかなーと個人としておもうんですけど。(例:商法会計法と税法での基準がちがうとか)

ようするに、法律を形成している”にほんじん”が決して”経済合理性”を第一に考える国の形を望んでないんでしょうか。それがいろんなところに出てきてるようなきがしますが。(例えば多くのかたが、”人生の目的はなんですか?”と聞かれて、”金”と答える割合は日本人多くないと思いますし、正面から”結局かねでしょ”といわれるとムキになって否定する人が多い)

経済合理性が究極的に国民の大多数の幸福に資するので、常に経済合理性(現状)を追求する法構成にするのか、それとも「人ありて、幸福は人が判断できる」から、国(という名の有力議員さんとか、官僚さんとか、法学者さん)が価値観を示し、その上で法体系を作りあげていくのか。(その過程で、その幸福論(価値観)を採用してもらうためにいろいろプロセスがあるみたいですけど)
【追記】ちなみに国のあるべき形論なんて壮大な議論は、小市民な私にはなかなかなじみません(笑)。個人の小さな幸せを守るために日々一生懸命がんばってるだけ。

、、個人的にはあんまり実務から離れた法律は作って欲しくないなあ、とだけ。

あ、なんども書きますが、これは法津なんぞ一分も勉強したことのない素人の私が頭の中で妄想したことで、まったく脈略ありません。為念。

【追記】、「仲が悪くても、宗教や人種がまったく違っても経済面で協力できるというのが、市場経済の大きな強みだ。これは政府には真似できない」by ミルトン・フリードマン

【追記】これを書いていて、どっか(銀英伝だっけ?)で出ていた「国家は国民以上の政治家は持ち得ない」という言葉を思い出した私は傲慢ですか、そうですか。
あと、実務家に”べき”論は嫌われます。ええ(笑)。
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by ttori | 2008-05-18 08:29 | プライベート
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小さな窓から見上げると曇り空でも、外に出ると意外と晴れてるもんだ。
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